現在の位置:トップ > 目次 > ウッチャンの落書きストーリー第15回

第11話

この物語の主人公の名は、ウッチャン!中途失明の視覚障害者である。
現在は、世間と言う大学で、生活社会学を学ぶ学生なのだ。

第十一話 ウッチャンは、三流陶芸家(その三)

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電動ろくろのイラスト

わがままを言って、粘土をいじりに、リハビリ室へ通って約半年。
ライトホームの生活も、終わりを迎えていた。
ウッチャンにとって、いろいろあった、イヤイヤありすぎた1年半。
ライトホームを離れ、数多くの思いを胸に、一人暮らしを始めるウッチャン。
一人暮らしも、いろいろあった生活だったが、ここでは、陶芸のことに絞って書くことにしよう。

<エピソード1>

電動ろくろ

リハビリではなく、陶芸を学びたいと、指導してくれる場を探すウッチャン。
しかし、どこに行っても、うち崩すことのできない大きな壁が現れる。
それは、指導してもらうために、用意しなければいけないもの。
教えてもらうために必要な費用。
これが、ウッチャンにとって、高額だったのです。
どこに行っても、最後はサイフの中身と、折り合いがつく所はなかったのである。
相手が、障害者に対する、差別や偏見と言うなら望むところ。
ケンカを売られたと判断、となれば、買ってしまう性分。

しかし、事が生活にかかわる金銭面となると、どうすることもできない。
何のために、周りの反対を押し切ってまでの一人暮らし。
ゼイタクは許されない、あきらめるしかないウッチャンだった。
このころ、横浜ラポールで、陶芸ができるという情報は得ていた。
しかし、講座のようなものはなく、指導してもらえるクラブ、グループもなかったのである。
それでも、一人暮らしの数年間。
一度も、陶芸ができなかったわけではない。
なんと、栃木県まで行って、陶芸をやったことがあるのです。
これは、参加している障害者団体の若者たちが、計画した旅行の中に、陶芸体験があると聞いて、無理を言って、陶芸体験だけに、参加させてもらったことがあったのです。

朝5時30分にアパートを出て、上野駅を6時30分頃の宇都宮行きの電車に乗って、イザ出発。
ウッチャン一人で、まさかぁ!ウッチャンにそんな力はありません。
若いおねぇちゃんの付き添いありです。
女の子の名は、みゆきちゃん。
白衣の天使となるべく、山形のいなかから出てきた女の子。
ビールジョッキと、カラオケマイクを持たせなければ、都会にはいない純朴な女の子と言ってもいいだろう。

そんなみゆきちゃんと、どこでどうやって?と、不思議に思う人もいるだろう。
実は、ウッチャンの参加している障害者団体に、時折、ボランティアとして協力してくれている女の子なのです。
その程度でと、またまた不思議に思うかもしれないが、そこはそれ、ウッチャンの魅力のなせる技、ナーンテネ。
そんなことはありえません。
真実は、みゆきちゃんのあこがれと、尊敬の念をもっている、看護学校の先輩が、ウッチャンと同じ障害者団体の会員なのです。
つまり、ウッチャンと同じ眼の病気をかかえながらも、白衣の天使になるための勉強をしているのである。
今は、不自由を感じることは、少なくても、将来は、と不安を持ちながらも、必死に学ぶ姿をみれば、みゆきちゃんでなくても、尊敬するだろう。
その先輩が、前日から旅行に、参加していたから、ウッチャンに付き添ったのでした。

さて、そんなみゆきちゃんと、3時間あまりの列車の旅。
宇都宮駅で、若者たちと合流。
めざすは、陶芸センター。
昼食もソコソコに、体験コーナーの部屋へ。
係員の型どおりの陶芸の話。
そして、「では、作り方の説明をします。」の声。
その説明が、始まるやいなや、ウッチャンの目つきが変わった。
ウッチャンにもこんな時かあるのかと、思うほど真剣な顔に変化した。
それは、係員の、「電動ろくろ・・。」の言葉に反応したからである。
ナント、電動ろくろでの作品づくり。
リハビリ室にもあったが、ふれることさえなかった。
(いつかは・・)と願っていた、電動ろくろを使って、作品が作れる。
何年ぶりと言っていいほど久しぶりに粘土にふれる。
楽しもうの気持が一変、(電動ろくろかぁ、望むところだぁ)の挑戦的思いに変っていたのです。
案内され、ろくろの前に座る。
スイッチを入れる、かすかに聞こえる回転音。
(これが、電動ろくろかぁ)と感激する。
真横にあるレバーを、前後に動かす。
回転スピードが、変化する。
これも、回転音でわかる。
(オー!スゲェ)と、今度は感心するウッチャン。

入れたスイッチを切って、自分の周りにある道具を確認。
(ヨシ)と、気合を入れ、あらためてスイッチオン!。
回転するろくろの中央に、ゆっくり両手を近づける。
久しぶりの、粘土の感触を感じながら、形を作っていく。
上下左右に、手を動かす。触れている粘土の、大きさが、頭に浮かんでくる。
スイッチを切って、高さと広がりを、そして、厚さを確認。
手からの感触から、(こんなもんかなぁ)と思う。
「スイマセーン」と、係員を呼ぶウッチャン。
そして、大きさを尋ねた。
帰ってきた言葉は、「湯飲みにしては、全体的に小さく感じます」。
「ウーン、おかしいなぁ」と、首を傾げる。
それもそのはず、自分の手を使って、大きさを確認。
形はともかく、大きさには自信があった。
(やっぱり、見えないと・・)と、思う者もいるだろうが、そんなことは、いまさら落ち込まなくても、百も承知。
イメージ通りの形、大きさにすることしか頭にないウッチャン。

少し大きいかなと、感じるぐらいがいいのかと、思いながら、ろくろのスイッチを入れる。
そして、係員にアドバイスを求め、手助けして貰いながら、一つ目を作り終えるウッチャン。
すぐさま、二つ目に取りかかる。
一つ目の、大きさの感触を思い出しながら作っていく。
今度は、係員を呼ぶこともなく、(ヨシ)と思ったところで、ろくろから作品を離す。
一つ目と並べて、大きさを比べてみる。
多少の違いはあるが、ほぼ同じ大きさ。
(ドンナモンダイ!)と、得意げの顔をして、胸を張る。
だれかに、褒められたわけでもないのに、何をやってんだか。
マァ、他人に迷惑かけているんじゃないからいいとしよう。
さて、気をよくしたウッチャン、三つ目を、作りはじめる。
なんとか、作り終えると、スイッチを切って、係員を呼び、外へと誘導を頼んだ。
「まだ、時間はありますよ」の言葉に、「満足したものができたところでやめんのが一番」と、えらそうに応える。
実は、限界だったのである。
何がって、集中力を、保ち続けることができなくなっていたのである。
ウルトラマンだって、3分がやっとなんだから、ウッチャンの集中力が、2時間近く保てたのは、えらいってもんです。

(ナンノコッチャ)、感心するほどのことでもない。
どうでもいい事は、この辺にして、その日一日、ほとんど電車とバスの中で過ごし、陶芸は、2時間ほど。
それに、作ったのは湯飲みが三つ。
アパートに、帰り着いたのは、夜11時近く、ハードな一日となった。
だが、この日を境に、今まで以上に陶芸への興味を持つウッチャン。
ことある事に、仲間に陶芸の話をする。
聞いた人間は、「ウッチャンが、陶芸?似合わないねぇ」と言う。
いつもなら、言い返すところだが、気にすることもなく夢中になって話をする。

その話を聞いている中に、「おもしろいのかなぁ」とか、口にする者が出てくる。
「やってみればわかる」と、応えるウッチャン。
「できるかなぁ、見えなくても」と、口にする者にも、「やってみればわかる」と、応える。
一人二人と、興味を持ち、(やってみたい)と、思う者がでてくるようになっていた。
となれば、やるしかない。みんなと、栃木県まで行くのは無理。
県内で、体験できる場所を、探さなければならない。
このころ、頼みの綱は、みゆきちゃん。
「10人以上の団体ならオッケー」と、言う所を見つけてくれたのだ。

またまた、久しぶりの陶芸。
一応、まとめ役の立場だが、他人のめんどうなどみる気などまったくない。
陶芸に、夢中になってしまう。
しかし、ことが終われば、いつものウッチャン。
参加したメンバーと居酒屋へ。
飲むほどに、酔うほどに、陶芸について、語り始める。
陶芸初体験の仲間たちは、それなりに感心しながら話に耳をかたむける。
だが、話を膨らませすぎて、たいした経験も知識もないことがばれてしまう。
こうなると後の祭り、ウッチャンに逃げ場はない。
みんなに、アレコレツッコまれて、「とにかく、おもしろかっただろう。またやりたいって思わない?」と、言葉を返すのが、精一杯。
すると、「確かに、おもしろかったし、出来上がるのが楽しみだよなぁ」と、だれかが言ったのです。
その言葉に、ホットする。
しかし、「それはそれとして、えらそうに適当なこと言うのは別。
少しは反省しなきゃね」と言われ、「ハイ」としか言えないウッチャン。
その返事に、大爆笑の仲間たち。
笑いの渦の中、(また、みんなとやれるといいなぁ)と、苦笑しながら思っていた。

<エピソード2>

陶芸クラブ

さて、またまた月日は流れて、約1年後。
参加している障害者団体の中で、「みんなで、楽しめることをやりたいね」、「そうだねぇ、何かないかなぁ」などと、会話をする機会が増えていた。
話をむけられたウッチャン、すかさず「陶芸がいい」と応えた。
すると、「陶芸ねぇ」と、シブルような声がした。
その声に、ムッとするウッチャン。
ひと言言い返そうとした時、「陶芸かぁ、昔やったことがある。
けっこうおもしろいもんだよ」の声。
そこへ、「そうそう、1年ぐらい前になるかな。
ウッチャンに誘われてやったんだよ。
見えないから、どうなるかと思ったんだけど、作れたもんね。
視覚より、手先の感覚で作るって感じだったなぁ」の声がした。
(オッ、ウレシイこと、言ってくれるじゃん!ダンボールオヤジ)
と思いながら、言い返すのをやめるウッチャン。
ところで、突然でてきたダンボールオヤジ。
一体、何者?本名は長沢と言う。
小田原市在住のおじさん、もちろん視覚障害者である。

理学療法士として、かなりのキャリアを持っている人なのである。
この世界で仕事を始めた視覚障害者としても、かなりの古株なのです。
だから、業界では、そこそこ名が知られている人なのだ。
しかし、ウッチャンには、(大酒のみの気のいいおじさん)でしかない。
なかなか、りっぱな家に住んでるって話を聞いて、「りっぱはりっぱでも、ダンボールハウスじゃないのかな。
小田原で、長沢さんが、ダンボール拾っているとこ、よく見かけるって聞いたことがある」と、ウッチャンが、つっこんだのが始まりで、最近では、自分から「ダンボールハウスに、住んでいる長沢デース」と、自己紹介しているおじさんなのです。
今では、ウッチャンの口車に乗せられ、陶芸クラブの部長をやっているのである。

このおじさんのフォローのひと言もあり、会員へ参加を呼びかけ、陶芸教室を開くこととなったのです。
やることになったのは、うれしいのだが、「それじゃあ、しきりはウッチャンでってことでヨロシク!」のひと言。
「マカセナサァイ」と、胸をたたいたのはいいが、1年前と、同じ場所にするか、
それとも、新たな場所を探すか、悩むウッチャン。

まずは、今までに尋ねたところを、調べ直すことにしたのです。
そんな中、以前尋ねて、だめだった横浜ラポールの正式名称を知って、(気が付いていたら・・)と、くやしがるウッチャンだった。
くやしがるほど、何を見落としていたのか。
(障害者スポーツ文化センター・横浜ラポールと言うのが、正式名称)。
となれば、障害者のためにある施設。
ましてや、工作工房なんてのがあって、陶芸ができる。
それなのに、障害者の受け入れができないなんてのは、もってのほか。
(クソー、わかってたら、あんとき簡単に、あきらめないでイヤミのひと言でも言ってやりたかったな)と思うのでした。
ここまで思ってしまったら、やることは決まってしまう。
(ヨシ、まずはラポールからだな)と、電話をするウッチャン。
返答の内容によっては、久しぶりに、ケンカを売る気のウッチャンだった。
ところが、ラポール側から帰ってきた返事は、「障害者に、工作工房を、もっと利用してもらえるようにと、ボランティア講習会を、開くことにしました。
ちょうど今、陶芸を指導できるようにと、陶芸ボランティアの講習会をやっているところなんです。
受講している人達にも、いい経験になりますから、ゼヒ陶芸体験の企画を進めてください。
こちらとしても、全面的に協力します」。
この言葉に、いきりたっていた気持はどこへやら、「ありがとうございまぁす。よろしくお願いしマァス」と電話を切るウッチャン。
もちろん、心も顔もニコニコ状態。
あきれるねぇ、なんたる性格。
電話をする前は、(アー言ったら、こう言ってやる、こう言ったら、アー言ってやる)と、眼がつり上がってしまうほどの気持だった。
それが、こうも簡単に変わることができるものかと思う。
しかし、ザンネンだが、これがウッチャンなのである。

だが、よけいな事を言わなかったおかげで、ことはトントン拍子に進んだ。
ボランティアも含め、20名近い参加となったのです。
そして、数ヶ月後。
できあがった作品を受け取り、見せ合う参加者たち。
できはどうあれ楽しそうに話す。
それを見て、「やればよかった」「やりたかった」「もうやらないの」の声が上がる。

ウッチャンは、この時を待っていたのだ。
定期的に、陶芸ができるようにしたい、ウッチャン的には、(なりたい)の方なのだが、(このチャンスを、逃してなるものか)と、動き出す。
まずは、ラポールへ「毎月一回、陶芸をやる機会を作りたい。
できれば、クラブのような形で、利用したい)と、願い出るとともに、ボランティアに、協力を求めた。
次に、長沢さんに、陶芸クラブ立ち上げの話を持ちかけ、やる気にさせて、ついでに、部長にするのに成功。
会報に、陶芸クラブの活動を始めると掲載、参加者を募ったのである。

一つの障害者団体の中に生まれた陶芸クラブだが、会員だけにこだわらず、だれでも参加できるようにしよう。
これは、長沢さんとウッチャンの一致した考えだった。

障害者も健常者もない、あるのは陶芸を楽しむことだけ。
オット!もう一つ、終わった後の居酒屋も、楽しみの一つとなっている。

陶芸クラブの活動をする上で、指導してくれるボランティアは必要不可欠。
始めた当初は、講習会の講師を務めた、金子さんを含め、10人近くのボランティアの人達が参加してくれた。
いずれは、自分たちの力で、活動していけるように、とのウッチャンの思いもあり、1年間だけの協力となった。
しかし、月に一回の活動では、自力での活動が、身に付くほどの経験はできなかった。
1年後、今後も指導をお願いする、長沢さんとウッチャン。
そして、つづけてくれる事になったのは3人。
金子さんは、お役所勤めのおじさん、考え方が、堅いんだか、柔らかいんだか、よくわかんない。
しかし、講師を依頼されるほどの人だから、陶芸の知識と経験は、趣味の域を超えて、アマチュアと言えども、陶芸家と言っていい実力の持ち主。
そして、紅林さんと神野さんは、元気なおばさん、イヤイヤおねぇさん。
陶芸を趣味として、始めてかなりのキャリアの二人。
紅林さんは、ラポールで、臨時職員のような形で、仕事をしている。
神野さんは、元々はラポールの利用者。
3人の共通点は、陶芸が趣味と言うだけでなく、ボランティアとしての経験が豊富なのである。
紅林さんに到っては、「健常者より、障害者の友だちの方が多い」と、言われるほどの人である。
金子さん、神野さんは年間を等して、ラポールで開催される、大きな
イベントには、かならずと言っていいほど、その姿を見ることが出来る二人なのです。
これだけの経験の3人でも、視覚障害者に、陶芸を指導するのは初めてに近い、一回だけの体験教室とは違うのだ。
どう教えるか、試行錯誤しながら、アレコレ悩みながら、ウッチャンたちに、関わり続けることになった3人。
陶芸クラブとして、活動し始めて3年あまり。
途中、仕事の都合で、参加できなくなった紅林さん。
今は、金子さんと神野さんが、ウッチャンたち視覚障害者だけでなく、付き添って来ている内に、陶芸にはまってしまっただんなさんや、ウッチャンたちの話を聞いて、興味を持って、参加するようになった夫婦。
この夫婦、障害者ではない。
そんなメンバーのめんどうまでみているのである。
となれば、(たいへんだろうなぁ)と、だれでも思う。
事実、たいへんなのである。
しかし、二人にとって、一番たいへんで手をやいているのは、だれあろうウッチャンなのだ。
「見えないから、うまくいかないんじゃなくて、教えたことを覚えてないからでしょう」と、言われ、「違うって、見えないからだよ」と言い返す。
「こんな時だけ、障害者のフリをして」と帰ってくる言葉。
「チョット待て、フリじゃなくて、本物だってば」とウッチャン。
「アッ、そうだったね」と金子さんと神野さん。
こんな会話に、参加者たちは大爆笑。
きびしくもあり、なごやかでもある。
陶芸を通して、うまれた
毎月一回の楽しい時間なのである。

陶芸の話は、その三で終わると思ったんですけどね。
まだ、つづくみたいです。
居るか居ないかわかりませんが、落書きファンのみなさん!
楽しみにまっててね!
以上

第15回終わり