現在の位置:トップ > 目次 > ウッチャンの落書きストーリー第8回

第6話その3

この物語の主人公の名は、ウッチャン!中途失明の視覚障害者である。
現在は、世間と言う大学で、生活社会学を学ぶ学生なのだ。

第六話 ウッチャンとかんなちゃんの看病日記(一応完結編)

手押しの買い物用カートの
イラスト

かかりつけの医院の先生に、往診に来て貰い、多少は、ホッとしたウッチャンとかんなちゃん。初めて聞く病名に、困惑した二人だが、後遺症が残らなければ、病名などに、こだわる必要はないと考えていた。先生に、総合病院での検査、特に耳鼻科での診療と検査をするようにと指示されていた。すこしでも早くと想う、あせる気持ちをおさえ、二人の看病が始まったのです。

妹が仕事を休んでいた時はよかったのだが、仕事に行くようになってからがタイヘン。あわただしい朝が、ウッチャンの大きな声とともに、毎日くりかえされたのである。
コーヒー好きのウッチャン、朝起きるとコーヒー、起きたらすぐコーヒー。何がなんでも、コーヒーを飲んでからじゃないと何にもしない。だから、少し早めに起きて、コーヒーを飲んでから、みんなを起こす。ところが、これが起きないのだ。当然のごとく、声が、だんだん大きくなる。
「オハヨー、時間だよ。」から始まり、「7時過ぎたぞ、起きろって。」となり、「かんな、オイオキロッテ、勇気、元気、ホレッ!オキロォ。起きないと、デコピンだぞぅ。」
それで、甥っ子二人は、起き出すのだが、妹は、「ウーン、わかったぁ」と、返事をするのだが、起きてこない。
「かんなぁ、もう30分になるぞぅ。」
これで、やっと起きだし、一番遅く起きたのに、「何やってんの、早く支度しなさい。」などと、子供に怒鳴る妹。
「オマエが、一番寝坊してんのに、えらそうに。」とウッチャン。
「そうだそうだ。」と連呼する甥っ子。
「ダマレィ、オマエラも、早くメシ食え。」と、しかりつけるようなウッチャンの声。
オフクロサンは、「勇気、元気、忘れ物ないようにね。」と孫に声をかける。
時には、学校からの手紙を、妹に差し出し、「なんで、昨日出さなかったの?後で見るからそこにおいときなさい。」としかられる甥っ子。そこへよせばいいのにウッチャンが「なんだ、お兄ちゃんがみてやろうか。と口をはさむ。
「エッ、お兄ちゃん、みえるのぉ。」と愕く甥っ子。
手渡された手紙を、マジマジみながら、「これはだなぁ・・。」と言葉をつづけようとするウッチャンに、「お兄ちゃん、いそがしい時に、アソブんじゃないの。今、頭ン中に浮かんだ事口にしたら、お兄ちゃんの夕食なしだからねぇ。」と妹のひと言。
「ハハハ、スンマセン。」と、謝るウッチャン。そばで見ていた甥っ子二人、こらえるように、クスクス笑っている。
それに気づく妹、「アンタタチ、支度できてんの?」と、強い口調でひと言。二人そろって、「ハーイ。」の返事。
「いいねぇ、なかなかの返事だな。」と、よけいなひと言に、妹に怒られるウッチャン。
あわただしい中にあっても、家族がいればこその情景なのかもしれない。

車で学校まで送る妹。送り届けて帰ってくると、台所で立ったまま食事をすませ、「お兄ちゃん、後はヨロシク。」と言って、仕事に行く妹。流しに、いっぱいの食器を洗い、母親にクスリを飲ませ、洗濯をして干すウッチャン。 ほとんど、毎日くりかえされた、朝の光景だった。
夕方まで、ウッチャンとオフクロサン、二人だけで過ごすことになる。ウッチャンが何かをしようとしたり、頼み事があって声を発すると、かならず最後に、「迷惑かけるねぇ。」「わるいねぇ。」「すまないねぇ。」のひと言がある。
そのたびに、「気にするな。」あまりにもしつこく言うと、「うるさいなぁ、だまって寝てな。」なんて言い返すこともあった。

ライトホーム退所後、家族の反対を押し切り、一人暮らしを始めた。プータロー生活をできるほど経済的な余裕があるわけでもなかったが、一人暮らしをする理由の中に、両親が元気な間に、特に母親が元気な内に、この身体に身につけ覚えさせておかなければと言う思いがウッチャンの中にあった。

世間は高齢社会について、介護について、これからどうなる、どうするなんて騒いでいる。高齢者ではないが、ライトホームの生活の中で、障害のある身体を介護する大変さとむずかしさを身近に感じていたウッチャン。

これからの生活の中で、収入を得ることを身につけるより、家庭の中でのことを身につけることが重要に思えたウッチャン。

考えたくはないが、あまり健康ではない母親の身体が気になっていた。もしも、何かの理由で親が倒れた時、自分の障害を理由に、なにもできないと想われ、それを心配してよけいな心労を与えたくない。ましてや、ウッチャン自身がうろたえて、何もできない状態になることがいやだった。

(頭の悪いオレには、身体に覚え込ませる必要がある。オフクロが元気な時にしかできない。だとしたら今だな。とにかく実践あるのみ。それに、おれの考えや生活ぶりに陰口言われても、すこし難聴で聞こえないし、後ろ指さされても全盲だから見えない。だいたい後ろで指さされたんじゃ、晴眼者だってわかんないよなぁ。だったら気にしない気にしない!)と、ウッチャン流の結論に達してしまっていたのである。

この決して正しくない結論によって、身につけた力を実践するウッチャン。だが、(こんなに早く、来なくてもいいじゃんか)の思いは拭いきれなかった。

これは、母親も同じようなものなのだろう。吐き気はおさまり、めまいは少しずつしなくなって来た。しかし、体を起こせる状態までにはいかない。となれば、トイレには行けるはずもなく、紙おむつをしなければならない。おむつの交換をウッチャンにさせるのが忍びないのか、自分でやろうとする。無理してやるものだからあとでつらくなる。
ウッチャンに支えられ、トイレに行けるようになるまで、それは何度となくくりかえされるのでした。こればかりは、「気にしている場合か。」と言えず、母親の思いを息子として受け入れるしかなかったのだ。

さて、甥っ子たちが帰ってきての夕方。どこの家庭でも当たり前の情景が始まる。

そして最後は、子供たちへの「早く、寝なさい。」で終わる。他と違うのは、妹が、留守番状態の夫に夕食を届けに家に帰ってくることだろうか。

そして夜11時を過ぎた頃、母親が倒れた日から日課となった、兄妹のチョットしたミーティングが始まる。もちろん話の中心は母親の事。
ところが、ある時期から、なんとかダイエーの優勝セールに行く方法はないものかと、相談することに終始するようになっていた。子供たちにまかせるかはまだいい。リハビリのつもりで、母親一人で留守番させるか、なんてことを口にしていた。そして出した結論が、病院になんとか行けるようにして、その帰りに寄ることにする。母親はどっかで休ませるか、車の中で横にさせておく。ナントモ、とんでもない兄妹なのである。しかし、相手がこの兄妹の母親であることも忘れてはいけないのだ。

起きて食事をしたり、一人でトイレに行けるほどに回復したオフクロサン。ここまで回復したならだいじょうぶだと判断。病院に行くのをいつにするか相談する二人。しかし、診療してもらいたい先生の外来は、週に一日だけ。その日にするしかないのだ。こうなると、ダイエーの優勝が病院に行くすこし前に決まってほしいと、願う二人。
優勝してほしいのに、今日は勝つなよと祈り、負けて喜ぶウッチャン。この応援のせいでもないだろうが、優勝にもたつくダイエー。
病院に行く予定日が、セール期間中と重なったのだ。(病院に、行けるようになって、よかった、よかった)と、喜ぶ二人。しかし、半分は別のよかったなのである。
喜び勇んでダイエーに行ったものの、イザとなれば、長い時間ホッとけるはずもなく、ソコソコの時間でダイエーを後にした二人。しかし、母親の希望もあり、別のスーパーに立ち寄り食料品を買うことになった。店内に入ると、カゴ付きのカートを見つけ、歩行器がわりになるからいいかもと、母親にカートを押させて買い物となった。まだ、多少のめまいもあり、歩くのがやっとのおふくろさん。母親のスピードに合わせ、店内を歩く。家の外に、でるのも久しぶり。買い物も久しぶり。まだまだ歩くのはつらそうだったが、あれやこれやと品定めをして、買い物を楽しんでいるように見えた。

ところが、カートに捕まって歩くのがよほど楽なのか、アッチにウロウロ、コッチにうろうろし始めたのである。気が付けば母親がいない。「アレッ、いない。ママはどこ?」と、妹。「おれに聞くな。」とウッチャン。「探してくる。待ってて。」と言って、探しに行く妹。しばらくすると、すこし離れたところから、「なにやってんの?一人で動いたらダメジャン!」と妹の声。戻ってきた母親に、「なんかあったら、どうすんだよ。」とウッチャンがひと言。ところが、ニコニコしながら、「勇気と元気に、おかしでもとおもってねぇ。それと、お兄ちゃんのも買ったからね。」これに思わず、「ありがとう。」と応えてしまうウッチャン。あわてて、「とにかく、一人で動くなって。」とひと言。
「かんな!オフクロは、俺たちの前を歩かせろ。後ろだとまたどっかに行くかもしんない。」これに、「そうだね。」と、返事
をして、オフクロサンに前を歩くようにうながす妹。前を歩く母親に気をくばりながら歩く二人。ところが、チョット目を離すといなくなる。いくら注意してもダメ、「これいいねぇ。スイスイ歩けてラクラク。」と、話すオフクロサン。こんな調子だからその後もいなくなる母親。その度に妹に怒られながら戻ってくる。
そんなことがくりかえされている中、今度は、探しに行った妹が戻ってこない。やっと戻ってきた妹の第一声が、「お兄ちゃん、ママスゴイヨォ、こんなの見つけてさ、それにこの値段。こんなに安くなってんの、そうないからね。」
これには、「感心している場合かぁ!」と、妹に怒りのひと言。そして、「こんなことなら、ダイエーで、もう少しゆっくり見てくりゃよかったな。」と、母親に向けてぼやくウッチャン。
すると、「アレ、ゆっくり見て来たんじゃないの?お母さんは、だいじょうぶだから、いろいろ見ておいでって、言ったのにねぇ。」。この言葉に、「ハイハイ、そうでしたね。すいませんね、気をつかわせて。」とふてくされて応えるウッチャン。
すると、「かんな。お兄ちゃん、何怒ってんの?」と、オフクロサン。これに、「シーラナイ!」と、トボケタ返事をする妹。 「ホントに、ヘンなお兄ちゃんだよ。」と笑うオフクロサン。もう、うなだれてため息をつくしかないウッチャンでした。

次の日、ヒザが痛いの足首が痛いのと、言い出したオフクロサン。「昨日、調子にのって歩くからだ。」と、言うウッチャンに、「イタイイタイ。」を、くりかして訴えるオフクロサン。
「ワカッタヨォ、後でもんでやるよ。」と、応えると、「ワルイネェ。」の母親の返事に、(ワルイと想ってる声じゃないな、マッタクヨォ)と、思いながら台所へ。午前中に、すませる家事をすませ、オフクロサンをマッサージするウッチャンでした。
話は前後するが、血圧の上昇とめまいが原因とわかった後、ウッチャンは、あんま、マッサージの仕事をしている友人に、自分でもできるようなマッサージの方法を教えてもらい、母親が少しの時間でも起きていられるようになった頃から、30分ほどのマッサージを朝昼晩、3回に分けてやっていたのです。
ここをこうかなとか、この辺をこうかななどと、考えながらのしろうとマッサージ、相手が息子となれば、あれやこれやと言うオフクロサン。「そこじゃない、もっと右。」とか言うのは当然となる。となれば、やっている方も、「ウルセェナ、教えて貰ったようにやってんだから、だまってろ。」と、言い返すのも当然と言うべきか。ましてや、ウッチャンとその母親なのだ。売り言葉に買い言葉の会話になるのは、ごく自然なことかもしれない。

そんな中でも「足が痛い・・・。」なのだから、むかつくウッチャンなのでした。

そんなこんなの約2ヶ月間。水分さえ取るのがやっとの状態から、家の中のことは多少はできるようになった。
夕食の時に、「オフクロに、リハビリさせるつもりで作ってもらったんだ。味わって食べろ。」とか、「だれが作ったかヨーク考えて食べろよ。残すなよ。」など、甥っ子たちに言いながら食事ができるようになったのです。
11月に少し入ったある日、妹と甥っ子たちは、たくさんの荷物とともに、オフクロが倒れる前の生活にもどっていった。良き仲間、良き友人たちの良きアドバイスのおかげで、乗り切ってこれた日々。
そしてある時、「私たちにとっては、いい予行練習だと、おもえばいいじゃん。」と言った。
我が妹、かんなちゃん。この存在あればこその日々。しかし介護の本当のきびしさをウッチャンもかんなちゃんも知らない。だが、負けられない戦いがいずれまたくるだろう。ウッチャン自身が背負った視覚障害と言う敵よりも、大きな敵が、見え隠れしはじめた。
勝つことより、負けられない敵に、どこまでウッチャン流で立ち向かっていけるのだろうか。スゴーク心配なのです。
なんとかなるかな?かんなちゃんがいれば。でも、ウッチャンの妹だからなぁ。

今回の話は、いずれまた番外編で。

第8回終わり