洋の夏休み
−2−

 目覚めて時計の針に触れると、八時を回っていた。洋は布団を抜け出して、洗 面道具を持って小屋を出た。増屋の大浴場に向かう。増屋の最上階の五階にある 大浴場は、この温泉郷の売り物の薬湯ではなく、沸かし湯であるために入る客は 少なく、いつも空いていた。まして客が朝食をとる八時前後には、まず客の姿は なかった。渓流に面した壁がすべてガラス張りで、天井にも採光用のガラスがは めてある明るい大浴場での入浴は、洋がこの温泉郷に来て味わうことのできる、 ほとんど唯一の贅沢だった。

 大きな浴槽の湯に身を沈めると、まだ眠っている体に湯の温もりが快く染みて くる。昨晩は熱をもって痛かった両手の拇指の腫れはほとんど引いて、痛みもわ ずかになっていた。

 たっぷりとしたお湯の中に疲れが溶けていくのを感じながら、洋は昨晩の稼ぎ の金額を思い浮かべた。15,400円。夏休みの間、このペースで仕事をすれ ば、相当の額になる。それは、学生の洋がこれまで手にしたことのない金額だっ た。それだけ稼いだら、モーツァルトのピアノ協奏曲全集のCDを買って、郷里 に帰ったら母に何か買ってやって、秋に来日するウィーンの歌劇団のオペラ「魔 笛」を観てと、洋はその使い道について、あれこれ思いをめぐらせた。

 洋が目に異常を感じるようになったのは、中学3年生のときだった。本の活字 が歪んで見えたり、別に何かにぶつかったわけでもないのに、線香花火の火花の ように目に細かな光の斑点が浮かんだり消えたりするようになった。当時の洋は、 高校受験の時期であったこともあって、単なる目の疲れだろうと思って、それを あまり気にしなかった。しかし、洋の視界は年を追って歪みがひどくなり、視力 も落ちていった。やがて電柱も家も道路も車も、目に映るすべての物の輪郭が歪 んで見えるようになった。しかもその歪んだ像が、揺れ動くのだ。洋は、自分が、 ダリが描いた絵の世界に迷い込んだような気がした。

 視界の歪みは網膜が崩れていく症状の表れであることを、洋は後に医学書で知 った。微塵の痛みも感じなかったが、病状は年を追って進行していった。

 洋が高校一年のときに診察した女医は、暗室で懐中電灯とルーペを使って洋の 眼底を丹念に調べて、
「これは困った病気だわ」
と言った。
「困った病気というのは、どういう病気ですか?」
と洋は尋ねた。

 女医は、
「人によって違うんだけど、長い間には……」
と言葉を濁した。

 いま思えば、女医は高校生の洋に、近い将来の失明を宣告するのはあまりにむ ごいことに感じたのかもしれない。

 しかし、洋は十代半ばの少年のひたむきさで、
「失明するんですか?」
と女医に食い下がった。
「ウーン、本当に人によって違ってね、長い年月をかけて少しずつ視力が落ちて いって、それでもおじいさんになるまで生活のための視力は残る人もいるの」 「そういう人もいて、すぐ失明してしまう人もいるということですか?」 と洋がさらに問うと、女医は黙ってしまった。

 暗室の闇の中、検査用の器具の光の中に女医の整った顔の左側だけが浮かび上 がり、その目がキラキラ光っていた。その目が伏せられるのを見て、洋は自分の 運命を悟った。

 それから十年以上の歳月が流れて、時は容赦なく洋の視力を奪っていった。も はや活字で印刷された新聞も本も読めなくなっていた。洋は読書が好きで、よく 徹夜で本に読み耽ったものだった。活字によって呼び起こされた想像力が、ペガ サスのように頭の中を駆けめぐる、あの幸福な時間を失って久しい。今では、室 内で対面している人の顔もほとんど見えないほどに洋の視力は落ちていた。

 夜の戸外では街灯などの光源以外は一切見えず、電柱や停まっている車によく ぶつかった。それでも臆せず出歩く洋の体には、手といわず足といわず、顔にさ え生傷が絶えなかった。自分は、日々闘いに明け暮れて、全身いたるところに傷 跡の残るサバンナの野獣のように、身に重なる数々の傷を記念に生きていくんだ なと洋は思う。

 しばらく湯の温もりにくつろいで、洋は啓子ちゃんのことを思った。
「今度、遊びに行くからね」
と、昨日新宿駅に洋を見送ってくれた啓子ちゃんは言ったものだ。

 この短い言葉は、一瞬洋を驚かせた。そして驚きは、同じ大きさの喜びに変わ りかけた。でも、啓子ちゃんは、毎日大学の同級生達と交わす夥しい言葉の一つ と同じように、その言葉をすぐに忘れてしまうだろう、と洋は思い直した。

 しかし、電車とバスを乗り継いで山間の温泉郷に近づくにつれて、時が経つに つれて、洋の心には、いくら押し潰そうとしても、水底から水面に浮上する泡の ように、希望が膨らんでいった。この山間のひなびた温泉郷に、若い大学生の啓 子ちゃんが自分を訪ねてやって来る。それはどんなに楽しいことだろう、と洋は 思う。そのときの啓子ちゃんや自分の様子を想像するだけで、洋の心には喜びが 満ちてくる。

 啓子ちゃんは大学の社会福祉のサークルに入っていて、そのサークルの学生た ちは、ボランティア活動のためによく洋の施設にやって来た。啓子ちゃんは対面 朗読のボランティアをしていたが、よく読み間違えをして、あるときなどは、
「盛沢山」を「モリサワヤマ」と読んだものだった。洋はこらえきれずに笑い出 してしまった。そして、それを指摘すると、啓子ちゃんは、
「洋さんて、すごくもの知りですね」
と、とても感心した様子で言ったものだ。

 いつしか、月に2回、啓子ちゃんが施設にやって来る日を洋は心待ちにするよ うになっていた。

 それにしても、啓子ちゃんにあの小屋を見せたら、さぞかし驚くだろうと洋は 思う。ボロボロに破れた畳と、あちこち傷だらけの壁、外が見えないほどに汚れ たガラス窓、真っ黒な天井から下がった裸電球、部屋はあるが、間仕切りの襖や 戸は一枚もない。まさしく物置小屋そのもので、洋の目にもその荒廃ぶりは明ら かだった。

 そして小屋には、水道はあったがトイレはなく、
「小便は河原でせェ。うんこは、話通してあるさかい、どこの旅館でもええから トイレを借りて済ませェ」

 洋が春休みに初めてこの温泉郷を訪れたとき、猫山はそう言ったものだった。 洋の同級生の中には、この小屋に一晩泊っただけで、翌日のバスで逃げるように して帰ってしまった者さえいた。

〔2項の終わり〕
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