銀河


 その日、二人は待ち合わせて日比谷の劇場に向かった。
 そのロココ趣味の装飾を施した劇場を、洋は何度か訪れたことがあった。高い天井から下がっているシャンデリア、壁にとり付けられた照明の輝きや、夕暮れの光の入る高い窓は、視力の衰えた洋の目にもボンヤリと映った。足下の絨毯の柔らかい踏み心地は、以前訪れたときのままだった。

 ユリは、立派な劇場に身を置いていることに感動している様子だった。
 しかし、ユリにはやはり、役者の口から迸り出る漢語の多い台詞を理解するの
は難しかったらしい。劇場を出ての帰途、レストラんで食事をしながら芝ユリは、
「今度シェイクスピアを観に来るときは、国語辞典を持ってこなくちゃ」
 と言って笑った。そして、
「私、これからも、ボランティアで楽々園に行きたいと思うんですけど、いいでしょうか」
 と洋に尋ねた。

 楽々園での芝ユリの実習は、すでに二週間ほど前に終わっていて、新しい病院での研修が始まっているという。
「楽々園、気に入りましたか」
 と洋が尋ねると、
「ええ、お年寄りたちが、みんな伸び伸びしていて、笑顔が多くて、とてもいいホームだと思います」
 これは洋にとって、何より嬉しい言葉だった。
 駅を出ると、ユリはハミングしながら暗い線路沿いの道を歩いた。澄んで伸びやかなユリの歌声は、洋の心に甘く響いた。
 ユリは駅から二つ目の小さな踏切の前まで来ると、
「この前郷里へ帰って、お土産買ってきました。これ、食べてください」
 と言って、紙袋を洋の手に触れさせた。ユリは、それをずっと持っていたらしかった。
 洋がそれを受け取って、
「ありがとう」
 と礼を言うと、ユリは、
「今日はどうもありがとうございました。おやすみなさい」
 と言って、洋の傍を離れて行った。

 洋は自分の部屋に帰り着いて、早速ユリの土産を開けてみた。紙袋には、蒲鉾と地酒らしい瓶が入っていた。早速開封して飲んだ酒は、洋の舌に甘かった

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