ABS21を知ろう!
―心のバリアフリーをめざして―
2017年3月25日(土)10時30分〜12時

会長:三竹 眞知子

 集まりいただいた皆様、ありがとうございます。本日は、ABS21立ち上げ理念についてお話ししたいと思います。

 20世紀末の福祉や教育の制度自体は「保護」という名のもとに、障害をもつ人々を社会から排除してきたのではないでしょうか。また「特別な配慮」という名のもとに、私たちの行為がその排除に荷担してきたのではないでしょうか 。そこで、障害者も高齢者も住み慣れた地域社会で安心して豊かに暮らせように「ノーマライゼーション」の街づくりをコンセプトとして掲げ、地域ニーズを形にしながら障害者と共に活動する市民団体「青葉バリアフリーサポート21(ABS21)」を2000年に立ち上げ、(社福)横浜市青葉区社会福祉協議会の共催事業を企画・実施してきました。ノーマライゼーションとは、個人がひととしての尊厳を持って、家庭や地域の中でその人らしい自立した生活が送れるように支えることであり、これは障害者の自立支援です。その過程を通して、私自身の自立につながったのではないかと思います。

 は、昨年秋に癌の闘病後に亡くなった嫁が残した1才半の女児を抱える父子家庭の息子の手助けをしていますが、このような家族の一大事に、お金にもならないボランティア活動をしているのは何なのか、などと揶揄されています。しかし、私にとってボランティア活動は人生の修行なのだと思っています。今から数十年前、小学校高学年の頃、給食の時間に朗読の放送をすることになりました。図書室に行って好きな本を選び、好きなところを読みなさいと先生に言われ、私は、放送室に行きひとりで進行しました。その時読んだのが宮沢賢治でした。何を読んだのかは全く覚えておりません。

 沢賢治(1896-1933)は、『農民芸術概論』で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と述べています。これは、異質なものが相互承認しあう世界の構想なのではないでしょうか。そのような社会を目指してみんなのために自分の意思でできることに取り組んでいるのがボランティアです。子どものころから「みんな」のことを考えるのが私の習慣になりましたが、それは賢治の影響なのではないかと思っています。賢治は、「みんなの為を思ふならば先づ自分を完成しなければなりませんがその道・方法は自分の為でもほかのひとの為でもいい訳だらうと思いました」(1918(大正7)年12月初め保阪あて封書『宮沢賢治全集9 書簡』ちくま文庫、2012年、p.141)と、親友に書き送っています。また、詩の中で、「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから」(『春と修羅』序 1924大正13年)と言っています。そこで「みんな」がどういうことなのかを考えてみたいと思います。

 「みんな仲良く」はよいのですが、全員が同じ意見になるはずはありませんから、異なる意見の人を排除するようになります。排除されないように自分の意見を言わないような「空気を読む」風潮になってしまいます。このような同化理論では、ある個人・集団の不適応は個人自身に問題があるとされがちです。したがって、多数を基準にした普遍主義で全面的な統合を目指す際、結局は多数派の意見に収斂されてしまいます。そうなると、多数派の文化にうまく適応できない少数派の個人・集団は文化的に劣っているとか、病理的であるとされてしまうのです 。上野行良によれば「個人相互間での共生」の中で、みんなが同じであろうとし、異なるものは許さず、虐げてもよいという考え方や生き方に問題があるのではないか」、そして、「人間には、自己決定権と幸せに生きる権利があるから、個人の自由を犠牲にして集団にあわせることを強制されたり、普通ではないという理由で虐げられてよいものではない」 。

 井正明は、異質な他者に存在意義があることを論じています。「多数派の行動原理の枠組みだけでは、社会のさまざまな問題の解決に行き詰るという限界があるし、私たちの社会を構成している様々な次元での多数派と少数派は、それぞれ長所と短所の織り交ざった役割分担」をし、「足りない部分を補い合う役割を果たしている」。また、「多数派に同調しないために『はみだしもの』とみなされる少数派は、多数派が招く社会的ジレンマにおいて、新しい変化、本質的な社会変動をもたらす源になるだろうが、少数派がもたらす既存の枠組みを超えた進歩は、枠を守る多数派にとっては『逸脱』である 。山口定によれば、「共生社会」とは「様々の異質なもの」の「共存」の承認の上に新しい結合関係の樹立をめざす社会」であり、「共生関係」とは「お互いの違いを認め合って、生かし生かしあう関係を創出すること」です。三重野卓の見解は「共生は、より積極的な道徳的価値、連帯、統合のための価値としても位置づけられるかもしれない」 です。

 帯・統合のための誰も反論できない普遍的な道徳的価値である「共生」は、結果的に「仲間同士が仲良く」できるのは理想ですが、そこへの経緯は、@強制による同化、A異質なもの同士が互いに認め合い、互いを大切にして共存していく、という大きな差異があり、人によってその理解・認識が異なります。満場一致に至るまで会議を続けるのであれば、そこに強制が潜んでいるのではないかという危惧があります。そこで、ABS21は、同化ではなく異化からの統合を目指したいと思っています。その統合はスープ状態の「同」ではありません。サラダボールの中の野菜のように一つ一つの持ち味がしっかり主張されていることが大事です。石川准は、「押し付ける図式に従順に従ってどちらかを選ぶというのではない道、「異化&排除」にあまんじずに、また「同化&統合」を望むのでもない道、「同化&排除」から「異化&統合」をめざし続ける道」に言及しています 。

 類が地球に誕生してからというもの、人々はお互いに助け合って生きてきたに違いありません。梅原猛によると、「縄文文化には人間と動物と植物が共生」し、「ほぼ対等」でした。「生きとし生けるものの命はすべて平等。すべてのものは共存しなくてはならない。そして循環する。そういう考え方が縄文時代の世界観であり、それは現代の日本人にも流れている」。近代科学により「遺伝子にしろ、魂にしろ、それは必ず子孫に伝えられる」ということが証明されました。「わたしたちの命の何分の一かは生き続ける。代々生き、永遠に生きている。遺伝子も生き変わり死に変わりしている、それは人間が生き変わり死に変わりしていることと同じです」 。

 「共生」は太古より行われてきましたが、強制・服従による共生の時代もありました。今は、「多様な異文化の生活・習慣・価値観などについて、どちらが正しく、どちらが誤っているということではなく、違いを違いとして認識していく態度や、相互に共通している点を見つけていく態度、相互の歴史的伝統的・多元的な価値観を尊重し合う態度を育成していくこと」という定義をABS21は採用したいと思います。一言でいえば、多様性の容認でしょう。ABS21には、様々な信仰を持つ人たちがいます。支持政党も様々です。宗教やイデオロギーは、一人ひとりの文化的個性と見做しているからです。

 は、自分の考え方を人にしっかり伝えるために大学で勉強することにしました。卒論のテーマは、「共生のまちづくりについての一考察―障害者のノーマライゼーションの実現のために―」(2006年)、そして、修論は、「福祉コミュニティにおける「共生」に関する一考察 ―ボランティアの視点より―」(2008年)でした。2008年・2009年には、国連大学グローバルセミナーを修了し国連の取り組みを学びました。国連は、1948年「世界人権宣言」、1971年「精神薄弱者の権利宣言」、1975年「障害者の権利宣言(障害者は、できる限りその自立が可能となるように計画された施策を受ける権利を有する)、1980年「国際障害者年行動計画」(障害者は、その社会の他の異なったニーズをもつ特別の集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難をもつ普通の市民と考えられるべきなのである)、1981年「国際障害者年「完全参加と平等」」(障害者の「完全参加と平等」が実現できる社会とは、障害者に対する各種制度・施策が整備されているだけでなく、その社会を構成している人々が障害者を同じ地域を構成する人として理解する社会を指す)1982年「障害に関する世界行動計画」以後10年間(1983-92)を「国連・障害者の十年」、 1993年「障害者の機会均等化のための標準規則」、同年「障害者対策に関する新長期計画」(@障害者は、障害のない人と違った特別な存在ではなく、障害のないひとと同じ社会の構成員であることA障害者は、一人の人間として基本的人権を有しており障害者による差別・偏見を受ける理由がないことB障害者も大きな可能性を有していることC障害者の問題は全ての人々自身の問題であることを十分認識し、配慮する必要がある)、1993-2002年「アジア太平洋障害者の十年」(2012まで延長)などを採択してきました。その後、博士課程進学のために、受験を繰り返していますが不合格です。この春は、東京大学大学院総合文化研究科研究生を志願していましたところ、合格通知が届いて喜んでおります。個人的な事情もあり、専念できないとは思いますが、生涯をかけて「共生」社会形成のために学びを続けていきたいと考えております。

 2011年春、NPO法人「人間の安全保障」フォーラムの設立理事として「人間の安全保障」に関与しました。初代理事長は2012年4月、日本人として8人目の国連事務次長に就任された高須幸雄さんです。人間の安全保障とは、一人ひとりの人間の尊厳を尊重して、命と暮らしを守ることを目的としていますから、ABS21の理念と共通すると考えています。

 に述べましたように、ABS21は「障害者との共生」、すなわち、ノーマライゼーションを掲げました。この理念は、「障害のある人々もない人々も同じように社会の一員として社会活動に参加し、自立して生活することのできる社会を目指すことです 。当時、急速に進展する大都市の高齢社会化や障害者福祉のみならず、全ての都市住民が安心して子どもを多く生み育てながら生きがいの持てる都市づくり、そのための条件づくりという「福祉のまちづくり」が進められるようになりました。それまでは家や施設などで保護されがちだった、身体の不自由な人たちも、街に出て社会に参加するのが当然だという理解が進んできました。そこで、私たちは、からだの不自由なひとが、生活していくうえで困っていること、不便に思っていることをなくし、だれもが安心して楽しく暮らせる「人に優しい」、「暮らしやすい社会」をつくっていくための情報交換の場としてホームページを制作することにしました。そのコンテンツのひとつとして、2000年秋にバリアフリーマップの制作に取り組み、商店街の人たちに障害者が困っていることを具体的に伝えていきました。

 のような活動を通して、一番問題なのは差別や排除に対する意識なのだということがわかりました。そこで、私たちは障害者のみならず一般の人たちに共生概念を理解していただくためにバリアフリー講演会を開催し、「心のバリアフリー」を広げていくことにしました。寺田貴美代は「社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない」と述べ 、さらに「共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない」と、述べています。このように私たちは「共生の街づくり」の対象を一般の人たちに広げていったのです。ノーマライゼーションの具現化は困難で、限界があることを認識しなければなりませんが、そのことに気づいていることが重要だと思っています。

 して、共生するには、社会の構成単位である人と集団の基盤として、一人ひとりが真に自立することだと考えるようになりました。自分を理解し、他者を理解するところに「共生」が成立するのではないでしょうか。先に国連が人間としての権利に関わる法律を提唱してきたことを述べました。しかし、このような考え方は、個人の概念が確立している欧米の人たちにはしっくりするとは思いますが、私たち日本人に適用するのは非常に難しいと考えています。特に、縦社会の人間関係が当然だと思っているような人たちは、自分より劣っていると見做す人たちを配下におき、まるで、自分の僕(持ち物)のような扱いをし、人間として対等に扱いません。意見の相違があった場合、その理由を聞こうにも、「常識だ!」などと言って論理的に言葉で表現せずに、感情で訴えることが多いので、理由が判明しません。そのためにコミュニケーションが成り立ちません。このような人たちには、人権意識がありません。自分を大事にしてもらうには、相手の人格を認めなければならないのです。

 様な人々の集合体であるABS21の運営においては、情報公開と対話を重んじてきました。対話は、対等な人間関係の基に成立します。その為には、一人ひとりの個が尊重されなければなりません。子ども・高齢者に対しても、対等に接したいものです。おそらく、感情的にわめいたり、質問にも答えずに暴力的な対応をする人たちは、勝つか負けるかに拘泥していて、呑まれないように必死で防御しているのでしょう。このように他者を支配したい人の欲求は、障害のあるなしに関わりありません。

 後に心のバリアフリーについて、もう少し述べます。21世紀になり、バリアフリーの考え方が広まり、それまでは家や施設などで保護されがちだった、身体の不自由な人たちも、街に出て社会に参加するのが当然だという理解が進んできました。(財)共用品推進機構は、取り除かなければならない4つのバリアをあげ、以下のように説明しています。
・物理的なバリア
・情報のバリア
・こころのバリア
・制度のバリア
 こころのバリアとは、障害のあるひとのこととを、他者がどう思っているか、また、自分自身をどう思っているかというところから始まる。

 の問題は、日本の社会の中での、からだの不自由な人たちに対する古くからの差別や偏見があって、最も解決しにくい、目に見えない意識上のバリアなのです 。障害者が劣位だと考えたり、からだの不自由なことを恥ずかしいと考えるのは、生産性の高い者が優秀で、生産性の低い者は劣っていて役に立たないとされた、古い時代の考えが残った、間違った知識から生まれています。また、「かばってやらなければならない」という考えは、一見、身体の不自由な人を理解しているようですが、実は自分のほうが上だと言う考えに立っているのではないでしょうか。対等な人間関係を作るうえでは、考えを改めていかなければならないバリアです。

 BS21のめざす「心のバリアフリー」は、一朝一夕には実現できないでしょう。しかし、2000年のグループ立ち上げ以来、様々な困難な事態を乗り越え、そして今も心のよりどころとして会が存続していることは、非常に貴重で希少だと思います。あるべき理念を掲げ、それに向かって努力していくことが実践であり、そこに意義があります。皆様方がインターネット・サロンを人生の旅のオアシスとして、憩いに訪れていただければ、「真の共生空間」の創出を掲げた発起人のひとりとして、喜びに堪えません。 最後になりましたが、20年近く、みんなの癒しの場を繋いできてくださった運営委員の皆様方に感謝の意を表します。

【参考文献】
1) 大沢真理他編『ユニバーサル・サービスのデザイン―福祉と共生の公共空間 新しい自治体の設計』(2004年、有斐閣 p.137)
2) 横須賀俊司『社会福祉学』ノーマライゼーションに求められるもの−多元主義の思想−(1996年、日本社会福祉学会 第37−1号、p.20)
3) 坂田義教・穴田義孝・田中豊治編著『共生社会の社会学』(2000年 文化書房博文社 p.16)
4) 折井正明『21世紀に生きる共生』(1997年、学文社 89-93参照)
5) 三重野卓「福祉社会の論理」『福祉社会の家族と共同意識』(1998年、梓出版社 p.54-58)
6) 石川准・倉本智明編著『障害学の主張』(2003年、明石書店、p.39)
7) 梅原猛『共生と循環の哲学-永遠を生きる』(1996年、小学館 p.140-p.142)
8) 『障害者白書 平成11年度版』(総理府 1999:3)
9) 寺田貴美代「社会福祉と共生」『福祉社会学研究』(2004年、福祉社会学会学会誌)
10) (財)共用品推進機構監修『だれにも優しい街づくり バリアフリーの社会に!』(2000年、学習研究社発行)

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